明治以後の長良川水害・対策の歴史年表


 年(西暦)  岐阜市周辺の水害など(特に甚大な被害は赤)、治水対策として行われたこと(青)  備考
明治元年5月
 (1868.5.9)
木曽・長良・揖斐の三大川を始め、境川、津保川…等出水破堤及び耕地人家の流防被害が多い。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治5年5月
 (1872.5.7・8)
暴風雨のため各河川で破堤・出水する。 岐阜市史
年表
明治7年8月
(1874.8.10)
木曽・長良・揖斐三川平水より1丈4尺5寸増水、方県郡正木村・則武村・小島村で破堤した。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治9年9月
(1876.9.15~17)
15日……伊自良川筋で破堤。また17日長良川・揖斐川・伊自良川…等、33箇所642間破堤した。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治10年5月
(1877.5.5)
伊自良川堤切入る。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治10年10月
(1877.10.11~12)
緒川大水就中伊自良川・板屋川・旦川は堤平越し、各務・羽栗・大野・本巣…山県の八郡35村被害多く、殊に長良川通り方県郡河渡村本巣郡生津村立会堤80間、方県郡寺田村40間破堤、小学校流失。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治11年7月
 (1878.7.5)
長良川16尺6寸の洪水、郡上・山県・方県・各務・厚見・本巣郡6郡の内12か村被害。支川とも堤切れ所10箇所延長180間余…に及ぶ。 岐阜県
治水史
(下)
明治14年7月
 (1881.7.1)
長良川通り厚見郡今泉樋管破堤。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治14年9月
 (1881.9.12)
長良川通り方県郡一日市場村31間破堤。……武儀川・旦川・糸貫川…津保川…の諸川堤破堤し、被害14郡84ヵ村、堤防切れ所又は欠壊129箇所延長7077間、流失家屋64戸、死者42人に上った。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治15年4月
(1882.4.13)
諸川出水、方県郡外9郡54か村水害、数カ所破堤した。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治15年8月
 (1882.8.2~5)
長良川杁吹抜け加納輪中へ入水。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治17年7月
(1884.7.16)
被害区域管内23郡477ヵ村に及ぶ大洪水。長良川、津保川、板屋川、伊自良川、鳥羽川、旦川、境川、武儀川、板取川、糸貫川、五六川、犀川……等非常の出水、堤塘決壊箇所107箇所、延長3197間、流失家屋79戸、死亡9人、耕地の流亡または荒廃216町に及んだ。長良川通り方県郡一日市場…その他で破堤した。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治18年7月
 (1885.7.1)
県下大野吉城二郡を除く悉く出水、前年の水位より2尺高く、堤防切れ632箇所25066間、死者6人流れ家235戸、土地の流亡または荒廃480町に及んだ。長良川通り方県郡寺田村、同郡河渡村、及び本巣郡生津村立会堤防切入り、長古川筋方県郡一日市場で破堤、…而して大垣輪中の被害も大きかったが、高須輪中は上郷今尾からの切込みで到底稲作の見込み立たず、稗粟等を播種して地租を免じられた。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治20年4月 木曽三川下流改修工事始まる。 岐阜県史
・近代
明治21年7月
 (1888.7.29)
「明治21年洪水」」
…藪川、糸貫川、長良川、五六川、犀川、根尾川、板屋川、旦川、伊自良川等非常の洪水。堤防切所517箇所、延長7035間、死者53人、流れ家163戸… 岐阜県
治水史
(下巻)
明治21年8月
 (1888.8.30・31)
暴風雨のため洪水、…此の外羽栗・中島・厚見・各務・方県・山県・本巣・益田の諸郡に被害あり。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治22年1月~ 「治水共同社」は下流改修工事促進を働きかけ続けた。 岐阜市史
・近代
明治22年7月1日 岐阜市制を施行 岐阜市史
・近代 
明治24年10月28日 濃尾大震災が起こる。 岐阜市史
・近代
明治25年6月23日
 (1892.6.14~25)
洪水のため、23日には正木・柿が瀬などで破堤し一帯浸水、
厚見郡高河原村で閘門破壊で加納輪中に入水。河渡橋流失。
岐阜市史
年表
明治26年2月 天王川の糸貫川伏越(サイホン)工事に着工 木曽川
上流
80年の
歩み
明治26年8月
 (1893.8.22・23)

「明治26年大洪水」
長良川及び支川板取川、武儀川、伊自良川、旦川、板屋川、境川、荒田川…悉く満水。郡上・武儀・山県・方県・厚見・…各郡は、堤防決壊831箇所34523間、道路欠壊2071箇所15万106間、死者81人、家屋の流失445戸、同崩壊4740戸に上った。
大洪水のため現市域内の破堤31箇所に及ぶ(日野、芥見を除き他は全て長良川右岸側西部であった。)
左岸の岐阜市街地では破堤を見なかったものの、激流は一時揚げ門を越え溢れ、長良橋・忠節橋はともに流失した。
岐阜県
治水史
(下巻)

岐阜市史
・近代
明治28年7月
 (1895.7.17)
「明治28年洪水」
長良川通り方県郡河渡村、長良古川筋同郡一日市場村で破堤、鳥羽川沿い同郡岩崎村、伊自良川沿い(?)同郡粟野村で破堤した。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治28年7月
 (1895.7.30)
「明治28年洪水」
長良川・武儀川・津保川・揖斐川・糸貫川・境川など各川洪水至る所破堤を見た。…今次洪水被害618ヵ町村、堤防決壊438箇所1万2千間、死者16人、流失家屋89戸、全潰249戸、床上浸水7600戸、冠水2万3千町歩に上った。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治29年7月
(1896.7.20)

「明治29年
7月大洪水」
木曽揖斐長良三大川をはじめ、支派川悉く漲溢して至る所に決壊し、各輪中に氾濫して被害激甚を極めた。災害区域1市25郡に亘り、加納・森部・牧輪中を除く他は全部切入り浸水した。この洪水被害者死者49人、家屋の流失919、同崩壊4069、床上浸水11220、堤防の決壊2228箇所延長61352間、道路の決壊3191箇所延長87502間に及び、上流地方の山崩れは無数、焚きだし救助延19万人に達した。
・大洪水がおきる・長良村鵜飼屋で150間決壊
・長良川は各務郡岩田村、厚見郡芥見村、日野村、菅生村、方県郡長良村、寺田村、河渡村、本巣郡穂積村、安八郡中須村の各所にて堤防が破壊された。
岐阜県
治水史
(下巻)

岐阜市史
年表

岐阜県史
近代年表
明治29年9月
 (1896.9.8~11)

「明治29年
9月大洪水」
7月の洪水の??未だ全く成らぬ時再び洪水に見舞われた。9月洪水は郡上恵那郡及び飛騨地方は被害少なかったが、西濃地方は殊に激甚で、死者158人、家屋の流失3738、崩壊5377、床上浸水11040戸、堤防の決壊1085箇所延長30446間、道路の決壊2345箇所延長46251間に及び、殊に11日襲来の暴風雨は一層被害を大且つ悲惨ならしめ、今次の焚きだし救助延27万人に上った。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治30年4月1日 郡廃置及び郡界変更法に基づき郡制を施行し18郡に。
  →厚見・各務・方県(一部)を稲葉郡に
  →本巣・席田・方県(一部)を本巣郡に
岐阜県史
・近代
明治31年9月
(1898.9.8)
板屋川、境川、長良川筋に倒れ家あり。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治33年(1900) 木曽三川分流を主とする下流改修工事がほぼ完成。 岐阜県史
・近代
明治35年 船頭平閘門工事が完成 岐阜県史
・近代
明治36年7月
  (1903.7.9)
県下各川大水、安八・揖斐・本巣郡地方の被害多く… 岐阜県
治水史
(下巻)
明治38年8月
  (1905.8.17)
揖斐川・長良川・糸貫川・藪川の出水甚だしく……山県郡保戸島・葛原で耕地流失。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治39年9月
  (1906.9.20)
伊自良川出水、沿岸耕地10町荒れ地となる。 岐阜県
治水史
(下巻)
明治40年9月
  (1907.9.8)
揖斐川は8日長良川は9日に出水甚だしく、被害は東濃の一部を除き管内全部に亘り、死者2人、家屋の流失27、同崩壊8、浸水家屋3200、破堤62箇所1588間、道路決壊63箇所3250間に及んだ。
岐阜県
治水史
(下巻)
明治43年 天王川の糸貫川サイホン完成 木曽川
上流
80年の
歩み
明治44年6月
  (1911.6.28)
木曽長良両川出水、武儀・郡上・稲葉各郡に被害甚だしく、家屋の流失一同全潰4、浸水1154戸、堤防決壊47箇所927間、浸水反別4507町歩に及んだ。而して西濃東濃には被害がない。 岐阜県
治水史
(下巻)
大正元年(1012) 木曽三川下流改修工事が全て完成。 岐阜県史
・近代
大正元年9月
 (1912.9.22・23)
暴風雨のため各川出水、今風害を除き水害について見るに、…本巣・山県…何れも沿河の地域に止まった。死者4人、家屋の流失3,全潰44、浸水2304戸、堤防決壊146箇所7126間、道路の決壊流失23箇所1220間、浸水反別4567町歩。 岐阜県
治水史
(下巻)
大正2年10月
 (1913.10.4)
揖斐川及び各支流大水、濁水暴漲氾濫して被害を生じた。その区域は…稲葉・羽島・海津・安八・本巣・山県に亘り家屋の流失10、全潰6,浸水1682、堤防護岸決壊134箇所3163間、道路決壊84箇所2773間、耕宅地の流失埋没36町歩、浸水3022町歩、山林原野の流失埋没19町歩、浸水260町歩に。 岐阜県
治水史
(下巻)
大正5年6月
 (1916.6.16・17)
東濃の一部を除き全県下に亘る洪水被害あり。就中揖斐・安八・本巣・山県・武儀・郡上各郡に多く、死者2人、家屋の流失7,全潰5,堤防の決壊130箇所2925間、護岸の決壊14箇所755間、道路の決壊101箇所2617間、橋梁の流失140、耕地の流失埋没44町、浸水11900蝶に及んだ。 岐阜県
治水史
(下巻)
大正6年8月
 (1917.8.31)
山県郡葛原村を中心に北山村上伊自良村、本巣郡外山村網代村に亘る約3万里に200ミリ乃至300ミリの豪雨あり。各川一斉に氾濫、被害区域狭小であるが、同地方未曾有の大洪水となり、死者3人、家屋の流失7、全潰4… 岐阜県
治水史
(下巻)
大正9年7月
 (1920.7.5)
山県郡大桑村桜尾村一帯に亘る豪雨のため鳥羽川氾濫、破堤5箇所100間、住家1、非住家2流失、その他被害。 岐阜県
治水史
(下巻)
大正10年6月
 (1921.6.30)
暴風雨により各川出水、水害は稲葉・海津・養老郡に多くその他は軽微で、家屋全壊5、浸水69、堤防決壊9箇所274間、護岸決壊10箇所223間、…… 岐阜県
治水史
(下巻)
大正10年7月
 (1921.7.13・14)
揖斐川・根尾川・長良川上流地方の雨量すこぶる多く、終に出水被害を見た。その区域は主として、西濃羽島・養老・本巣・山県各郡市地方で、家屋の流失2,全潰2、浸水1642、道路決壊34箇所884間、護岸決壊62箇所1519間、道路決壊34箇所361間、耕宅地の流失埋没100町…… 岐阜県
治水史
(下巻)
大正10年9月
 (1921.9.25・26)
暴風雨のため県下各川出水、被害は稲葉・海津・養老・安八・大垣・揖斐・本巣・郡上・恵那の各郡市を通じ、死者1人、家屋の流失1、全潰1,浸水1864、護岸堤防の決壊60箇所1315間、道路の決壊41箇所195間に及んだ。 岐阜県
治水史
(下巻)
大正10年(1921) 木曽三川上流改修(10ヵ年計画)始まる。 岐阜県史
・近代
大正11年7月
 (1922.7.5~8)
にわか雨性大雨のため各川出水、5日午後高水位を示し漸次減水したが、台風の襲来で7日夜長良・揖斐川は第二の高水位を量るなど珍しい出水ぶりであった。その被害は死者2、堤防決壊31箇所197間、護岸の決壊47箇所312間、道路の決壊122箇所674間、橋梁流失25、耕地の流失埋没34町、浸水4万余町に及んだ。 岐阜県
治水史
(下巻)
大正12年9月1日 関東大震災がおこる。 岐阜市史
・近代 
大正14年8月
 (1925.8.17)
台風が大阪湾より上陸北上した影響で強雨…その被害は長良川流域を最として…死者2人、家屋の流失、全潰13、浸水2894戸… 岐阜県
治水史
(下巻)
大正15年(1926) 長良川筋逆川・境川の締切り、並びに日置江の引堤着手。 木曽川
上流
80年の
歩み
昭和2年7月
 (1927.7.5・6)
4~6日まで降雨あり各川出水、その被害堤防決壊971間、道路決壊44825間、橋梁流失22、その他耕地農作物の被害 岐阜県
治水史
(下巻)
昭和5年7~8月
 (1930.7.31~8.1)
稲葉・養老・不破・安八・土岐・恵那・可児の7郡29カ町村に亘り、死者5名、家屋の流失20、全潰8半壊44…
・津保川・揖斐川・長良川出水
岐阜県
治水史
(下巻)

岐阜県

近代
昭和6年(1931)
長良川筋犀川(五六川・中川・天王川)改修着手。
・長良川筋忠節用水路付け替え工事着手。

・荒田川中部放水路(新荒田川)竣工
木曽川
上流
80年の
歩み
昭和6年9月18日 満州事変勃発 岐阜市史
年表
昭和8年8月
 (1933.8.)
・長良川筋古川及び古々川締切及び島地先の改修着手。
・長良川左岸岐阜市特殊堤工事着手。
木曽川
上流
80年の
歩み
昭和9年 (1934) ・長良川筋古川合流点付け替え及び締め切り工事着手。
・境川の締切り、日置江の引堤完成。
木曽川
上流
80年の
歩み
昭和11年(1936) ・長良川筋忠節用水路付け替え工事完成。 岐阜市史
年表
昭和12年7月7日 蘆溝橋事件が起きる。(日中戦争が始まる) 岐阜市史
年表
昭和15年8月
 (1940.8)
・長良川筋左岸岐阜市内特殊堤一部完成。長良川筋古川合流点の付け替え新川へ切り落とし 木曽川
上流
80年の
歩み
昭和16年12月8日 真珠湾攻撃(太平洋戦争が始まる。) 岐阜市史
年表
昭和17年 (1942) ・長良川筋古川及び古々川の締め切り完成。 木曽川
上流
80年の
歩み
昭和19年12月7日
 (1944.12.7)
東海地方に大地震 岐阜市史
年表
昭和20年1月13日
(1945.1.13)
東海地方に大地震(三河地震)死者1961人 岐阜市史
年表
昭和20年8月15日 終戦 岐阜市史
年表
昭和21年 ・一日市場・寺田付近の伊自良川の付け替えと堤防改修工事に着工  木曽川
上流
80年の
歩み
昭和26年 ・一日市場・寺田付近の伊自良川の付け替えと堤防改修工事が完成 木曽川
上流
80年の
歩み
昭和26年(1951) ・長良橋付近の特殊堤防改修・防水鉄扉による溢流防止工事にとりかかった。(しかし民家の移転問題で工事は中断) 木曽川
上流
80年の
歩み
昭和26年7月
 (1951.7.1~17)
梅雨前線の活発化で、1日から17日まで連日降雨が続いた。
岐阜市及び周辺田畑冠浸水の被害があった。
岐阜市史
年表
昭和27年6月23日 ダイナ台風による大雨で被害出るも軽少 岐阜市史
年表
昭和27年  ・岐阜市長良の特殊堤着工。 岐阜市史
年表
昭和34年9月
 (1959.9.25~27)

「伊勢湾台風
(台風15号)」
伊勢湾台風(台風15号)により芥見、山県郡三輪、関市保戸島で破堤し、付近一帯に濁水が湛水するなど未曾有の被害(被害世帯6781、死者13、負傷者377)。日野・雄総・長良橋付近で溢流水による浸水被害。南岸では湊町・玉井町・御手洗の外、岐阜公園北に築かれた本堤防を溢流し、大宮町・大仏町・松が枝町や梶川町の一部まで浸水。北岸は鵜飼屋など河川敷の外、本堤防を溢流し長良北町から長良平和通りに至る道路の南に位置する住宅街へ浸水した。 岐阜市史
年表

岐阜市史
・現代
昭和35年8月
 (1960.8.11~13)

「11・12号台風」
11号、12号の二つの台風が続けて来襲したが、連日の雨で長良川水系は増水し、伊勢湾台風時の出水を上回り、三輪・保戸島・芥見、日野が破堤し、一帯は濁水の海と化した。
罹災世帯は6867、罹災人員は31003人に及んだ。長良橋付近の両側地域やこれより上流部における溢流は顕著だった。この溢流と内水のために川北地区は広範囲にわたり浸水。長良川増水に伴う排水不良、内水湛水現象が岐阜市各地で発生した。
岐阜市史
・現代
昭和36年6月
 (1961.6.26・27)

「36年6月
梅雨前線豪雨」
26日からの豪雨で、木曽川・長良川・揖斐川の各河川水位は急激に上昇。長良川は保戸島・芥見・加野において3年連続浸水し多大の被害。伊自良川は石谷で決壊し、交人・折立・黒野地区一帯が5日間以上にわたる湛水被害。
鳥羽川・伊自良川・板屋川・境川・荒田川・論田川などの各支川は全て溢流・氾濫した。これらの支川の下流部ほど溢流水及び内水による湛水深も大きく洪水面積も広がった。中でも南部の論田川・荒田川・境川下流部・西部の天王川下流域では7日以上の湛水被害。
罹災世帯は24126、罹災人員は94529人。
岐阜市史
・現代
昭和36年9月
 (1961.9.14~16)
「第二室戸台風
(台風18号)」
台風18号は規模的には伊勢湾台風に次ぐ超大型台風であったが、上陸の速度は速く、降雨も平野部では少なかったので、被害も少なかった。排水不良の岩戸などでは内水湛水現象が見られたが、比較的短期間で消滅した。 岐阜市史
・現代
昭和36年4月(1961) ・右岸(長良)堤防かさ上げ・石積による特殊堤防が完成。 木曽川
上流
80年の
歩み
昭和37年6月
(1962.6)
・右岸の高富街道新道(長良丘)・旧道(長良中町)、左岸(大宮)の新道に陸閘(防水扉)が完成。 岐阜市史
・現代
昭和38年 (1963) ・長良川の計画高水流量を8000立方メートル/sに改訂し、それに伴う改修工事に着工した。(木曽川水系工事実施基本計画) 岐阜市史
・現代
〃 〃 ・雄総・中川原の築堤着工。 木曽川
上流
80年の
歩み
昭和39年 (1964) ・3年連年災害の復旧工事が完成。(工事実施基本計画にもとづき、破堤・決壊した9箇所) 岐阜市史
・現代
昭和39年 (1964) ・境川の内水対策として必要排水量を35立方メートル/sとして第1期工事に着工。40・41年度に土木工事、41・42年度に排水機3台を設置。第2期工事は44年度に排水機2台、45年全工事を完了。 岐阜市史
・現代
昭和39年 (1964) ・荒田川・論田川の内水対策として増設排水機の必要排水量を13立方メートル/sとし、第1期工事に着工。(40・41年度は土木施設を施工し41・42年度には排水機1台を設置。第2期工事は44年度に排水機1台を増設し、45年度完了) 岐阜市史
・現代
昭和42年 (1967) ・長良川筋境川及び荒田川・論田川排水機第1期工事完成。 岐阜市史
・現代
昭和42年 (1967) ・「左岸・鏡島の引堤工事計画」で用地交渉開始。 木曽川
上流
80年の
歩み
昭和43年 (1968) ・「合渡橋付近の両岸の引堤拡幅工事」計画が開始。 岐阜市史
・現代
昭和45年 (1970) ・境川・及び荒田川・論田川排水機の第2期工事完成。
・糸貫川・天王川内水排除工事着手。
木曽川
上流
80年の
歩み
昭和47年 (1972) ・新荒田川・境川浄化事業着手。
・長良川筋・鏡島築堤工事着工。
木曽川
上流
80年の
歩み
昭和48年 (1973) ・雄総・中川原の築堤施工。雄総と中川原の排水樋管を新設、日野橋の改築、岩舟川までの排水堤を施工。 木曽川
上流
80年の
歩み
昭和48年 (1973) ・梅林地区の内水対策として、岩戸川の改修工事(7年計画)に着工。 岐阜市史
・現代
昭和49年 (1974) 長良川流域西部、揖斐川流域を中心に大雨。各地で堤防法面崩れ内水被害。 木曽川
上流
80年の
歩み
昭和49年7月
 (1974.7.24・25)
長良川本川及び伊自良川の古い堤防法面の崩壊流失と、排水不良地域における内水湛水の被害。 木曽川
上流
80年の
歩み
昭和51年9月
 (1976.9.8~12)

「9.12豪雨」
9月8日から降り始めた記録的な豪雨によって、東海地方の各河川は警戒水位を大幅にこえて、各所で溢流・破堤による被害を受け、岐阜市においては約70%の地域が数時間の浸水から数日間にわたる湛水による被害。
伊自良川の破堤(岩利・安食・石谷)、鳥羽川・荒田川・境川やその他の支川からの溢流及び内水による被害である。いずれも長良川本川の水位上昇に伴い支川の排水能力が低下したため。
岐阜市史
・現代
昭和53年 (1978) ・正木川排水機場着工。荒田川・論田川第2排水機場着工。
・境川第2排水機場着工。
木曽川
上流
80年の
歩み
昭和54年7月(1979) ・糸貫川・天王川排水機場完成。
・長良川河渡築堤工事着工。
木曽川
上流
80年の
歩み
昭和55年 (1980) ・荒田川・論田川第2排水機場、境川第2排水機場完成。 木曽川
上流
80年の
歩み
昭和55年12月(1980) ・長良川左岸(鏡島)引堤工事等完成。(右岸は進行中)
・根尾川排水機場着工
木曽川
上流
80年の
歩み
昭和56年 (1981) ・正木川排水機場、根尾川排水機場完成。長良川激特事業完成。 木曽川
上流
80年の
歩み
昭和58年 (1983) ・伊自良川激特事業完成。 木曽川
上流
80年の
歩み
昭和60年 (1985) ・伊自良川筋木田築堤工事着工。 木曽川
上流
80年の
歩み
昭和63年 (1988) ・両満川排水機場完成。 木曽川
上流
80年の
歩み
平成4年 (1992) ・河渡・鏡島引堤の旧堤撤去完成。 木曽川
上流
80年の
歩み
平成5年 (1993) ・雄総・中川原無堤防部対策事業着手。
・長良川支流浄化事業着手。境川浄化施設工事着手。
木曽川
上流
80年の
歩み
平成7年 (1995) ・伊自良川旧堤撤去工事着手。
・新荒田川・境川浄化事業完成。
木曽川
上流
80年の
歩み
平成8年 (1996) ・境川浄化施設完成 木曽川
上流
80年の
歩み 
平成11年 (1999) 秋雨前線と台風16号の影響で木曽川・長良川上流域を中心に大雨。忠節水位は昭和3年の大洪水、昭和51年洪水に次ぐ第5位を記録。 木曽川
上流
80年の
歩み
平成11年 (1999) ・伊自良川旧堤撤去完成。 木曽川
上流
80年の
歩み
平成12年 (2000) ・今泉・天王川樋門工事着手。 木曽川
上流
80年の
歩み

○この文章は、下記の文献・史料などをもとにしながら後藤征夫がまとめました。
<参考文献>
・「岐阜県治水史」(上巻)・(下巻)
・「岐阜県史・通史編」「史料篇」(近代)・(現代)
・「岐阜市史・通史編」「史料編」(近代)・(現代)
・「木曽川上流・80年のあゆみ」(木曽川上流工事事務所)

Copyright (c) 2010 「お話・岐阜の歴史」サークル All Rights Reserved.
inserted by FC2 system